『生きる』ひきこもりシングルマザーの心の記録

双極性障害という病気との付き合い方を模索中です。突然急上昇したり底に突き落とされたり振り回されっぱなしです。でも生きる事はもう放棄しません。

居場所

 

ここで生きるにはとても息苦しすぎる。

 

以前も同じことを考え訪問看護師さんと

住むアパートまで考えた。

 

でも結局、父親が激怒し出てきたいなら勝手に1人で出てけ!!二度と帰ってくるな!!

と罵声を浴びせられ心が折れた。

 

 

再びあの時同様の気持ちになっている。

ここには私の居場所が無い。

田舎特有の1歩外に出れば知り合いだらけ。

 

そして社交辞令で聞かれるのは

「今どこに勤めてるの?」

 

それを聞いてあなたは何になるの?

私はそれが嫌で家から外に出られない。

いわゆる引きこもりである。

 

 

外には出られないが家の中には少なくとも

自分の居場所があった。

 

でも今その居場所さえ無くなってしまった。

 

 

しばらくフラットな状態が続いていた私だが

一気に鬱の波に飲み込まれてしまった。

布団から起き上がるのもしんどい状態。

 

パジャマのまま過ごす私を母がイライラして見ている視線が痛いほどわかる。

まるで見下すように。

 

今の私が出来ることといったら極力視界に入らずイライラさせないことしかない。

 

 

薬の副作用で喉が渇く。

しかし飲み物を取りに行くにも耳をすましリビングに人が居ないことを確認し取りに行かなければならない。

 

 

そんな夜、私の食事だけ用意されていなかった。そこまで迷惑でしかない存在だと思い知った。

 

こんな陰険な嫌がらせをされるなら直接罵声を浴びせられた方がずっとマシだった。

 

 

翌日、このままでは関係が破綻してしまうと思い母親に今の自分の身体的、メンタル的状態と今後の想いをLINEで送った。

かなり長文になってしまったが。

 

でもそれに対しての母の答えは

「わかりました」

その一言のみだった。

 

これで関係修復は不可能だと思った。

 

 

訪問看護師さんに相談したら

その日の夕方来てくれた。

 

 

私は以前にも家族との距離を取るため

入院を勧められしたことがある。

その時の状況が自分の中でとても重なっていた。

 

 

訪問看護師さんに今の家族との現状を説明した。

訪問看護師さんの答えはこうだった。

 

入院してる間一時的に避難できても退院したらまたこの環境に帰ってこなければならない現実は変えられない事。

 

明日の診察で先生とも相談してみる事。

 

その翌日、また訪問に来るからその時

母と2人で話をしてみるからそれまで待ってほしい事。

 

そして

「今死にたいと思ってる?」と聞かれた。

 

 

今は希死念慮は無い。

ただこの環境から逃げ出したいだけである。

 

もし家出したくなったら必ず電話してね。

それは約束して。と念を押された。

 

 

いっそ生活保護を受けて細々とアパートで

暮らしたい。

 

誰も私のことを知らない場所で。

 

そもそも生活保護を受けられる対象になるのかな…

バイトと障害年金で何とか生活できるかな。

 

 

安心出来る居場所が欲しい。

自由に飲み物くらい飲める当たり前の環境で

暮らしたい。

 

 

私は今回の件で母親に対し完全に心を閉ざした。

今後何を言い訳しても私の心に届くことは無い。

 

 

お金が無くてもいい。

精神的自由が欲しい。

人間らしく生きたい。

 

 

 

 


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