『生きる』ひきこもりシングルマザーの心の記録

双極性障害という病気との付き合い方を模索中です。突然急上昇したり底に突き落とされたり振り回されっぱなしです。でも生きる事はもう放棄しません。

 

今日は朝からあいにくの雨。

悪夢見たせいで目覚めもよろしくない。

 

昨日フラットになったなんて言っときながら

今日はもう失速してるし。

 

お天気のようにころころ変わる私の心。

 

でも前はそんな状態を受け入れられず

必死にもがいてた。

 

そんな事をしても好転するはずもなく

さらに堕ちてゆくばかり。

そして疲れ果て何も変わらない現状に

絶望する。

 

でも今は無理に抗う事をやめた。

今日はダメな日なんだと諦める。

明日のための休みだと言い聞かせるのだ。

 

ただ家族の事は無意識に避けてしまう。

顔を合わせないように時間帯をずらし

朝ごはんと薬を飲みまた寝室にこもる。

 

まるで以前見た引きこもりの

ドキュメンタリーそのものだ。

 

きっと私の中で後ろめたさがあるのだろう。

着替えの服も寝室に持ち込む。

息子が帰ってきたら着替えるために。

 

 

許されるなら正直パジャマのままで1日を

過ごしたい。

実際以前はほぼ寝たきりで息子が帰っても

布団の中から出ることもしなかった。

 

やっと今頃になってようやく母親というものを自覚するようになった。

 

失ってしまった時間は大きい。

 

それを痛感してるからなるべく一緒に過ごす

時間を作ろうと自分なりに努力している。

 

 

私は息子の優しさに甘えすぎていた。

 

「ママ寝てていいよ」

そう言ってくれる息子の言葉に。

 

 

私の母親は専業主婦だった。

だから家に帰るといるのが当たり前だった。

 

「おかえり」と迎えてくれるのも。

 

 

私はそれが出来る環境なのにしてこなかった。

病気を言い訳にして。

病気という事実は変えられない。

 

ただ布団から起きて「おかえり」と迎える事は出来るはずだ。

 

 

考えてみると息子は私に頼ることが無かった。

どこかでしてはいけないという意識が

働いていたのかもしれない。

 

でも最近は「ママ」と言って私を頼ってくれるようになった。

 

それは私が以前より変わったからだと思う。

頼ってもいいと安心感が生まれたのだろう。

 

 

私は毒親で終わってしまうところだった。

他の母親と比べたら毒親には変わりないかもしれない。

 

でも今の自分に出来る事、出来る日を大切に

息子の側にいて少しでも安心させてあげたい。

 

塾に一緒に行くこと

ピアノの練習を一緒にやること

スイミングを見守ること

宿題を見てあげること

なるべく一緒にお風呂に入ること

 

 

今出来るのはこの程度しかないが

それでも以前のように何もしないよりはましだ。

 

 

「ママ大丈夫?寝てていいよ」

 

この言葉を息子が言わなくて済む安心感を

せめて与えたい。

 

いや与えなければならない。

 

 

健康なお母さんの元に産まれていれば

こんな気遣いもする必要などなかったのに。

 

 

私はいつも母親が精神を病んでいた人達の声を聞いてみたいと思う。

 

壊れゆく母親をどんな目でどんな想いで

見ていたのか。

どんな辛い想いをしてきたのか。

 

 

シックマザーという本は読んだことがある。

まさに精神を病んだ母親に育てられた子供たちのノンフィクションだ。

 

 

息子は幸せなんだろうか。

屈託なく笑う姿を見ていつも想う。

 

 

私がその純粋な笑顔を奪ってしまいそうで

それが何より怖いのだ。

 

 

 


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