『生きる』ひきこもりシングルマザーの心の記録

双極性障害という病気との付き合い方を模索中です。突然急上昇したり底に突き落とされたり振り回されっぱなしです。でも生きる事はもう放棄しません。

精神障害者

今日も昨日同様 朝からずっと布団の中。

でも気分的には昨日より随分落ちついていました。

Twitterやブログで気持ちが整理できたからかもしれません。

なので『明日の為に備えての休み』という事に私の中で決めました。

 

17時半になったのでリビングに行くと

お客様がいました。

 

「こんばんは」と挨拶をする私。

 

すると母があっちへ行けという仕草をしながら「2階に行ってて!!」

とまるで汚いものでも見るように。

 

 

言われたとおりまた部屋に戻りました。

そして考えました。

 

精神障害者が家にいるってそんなに

恥ずかしいことなのかな。

他人に見られたくないほど私は

恥ずかしい存在なのかな。

 

世間体って何だろう。

精神障害者の人権より重要なものなの?

 

そもそもこんな病気に好きでなった訳じゃない。誰だってそうだ。 

好き好んでこんな苦しい想いしてる訳じゃない。

 

 

先生に「私は躁鬱病です」ってプラカード下げて歩きたいよって言ったのを思い出した。

傍から見れば精神障害者なんてわからないからだ。

 

お風呂に入れない時は外出する気力もない。

家に引きこもる。

外出できる時はそれなりに服にも気を使う余裕がある。

だから余計に見た目で病気なんてわからないのだ。

 

 

家族はやはり私が精神障害者という事を

受け入れていないようだ。 

事実は認めているけど他人には知られたくない…これが正しい表現なのかな。

 

なんだか存在を否定されたようで

とても悲しかった。

そして存在することが迷惑だということは

明確にわかった。

 

昔の私なら今すぐ自傷したり死のうとしたり

しただろう。

でも今は衝動的に死に走る事はなくなった。 

 

 

そんな事を考えてたら母が部屋に

夕食を運んで来た。

 

私は入院患者か…?

 

来客が帰る気配がないからだろう。

そうまでして私を見られたくないのか。

 

 

「死にたい」なんて言わないけど

なんかやっぱり悲しいね。

自分の家なのに自由に動けないとか。

 

お客様に挨拶だってちゃんとしたし。

まぁ結局はそれをして欲しくなかったみたいだけど。

挨拶しないで知らんぷりより

よっぽど礼儀通してると思うんだけどな。

 

 

まぁ私の住んでるところは田舎だから

何かと世間体が、世間体がって言ってる。

 

私は全く気にならないけど

両親は違うらしい。

 

田舎で精神障害者として生活するには

厳しいのかな。

自助会とかも無いし。

 

 

なんていろいろ考えさせられた一件でした。

 

だって病気なのは先生にだってどうにも

出来ない事。

だから7年も通院してるんだし。

私だって治るなら今すぐ治したいよ。

好きでこんな死んだような生活送ってる訳じゃない。

 

なんてここで言ってもね。

ここの環境が変わるわけじゃないし。

ひっそり息を潜めて生きるしかないのかな。

 

 

来客様やっと今お帰りになったみたいなので

私はお風呂に入ってきます。

 

まとまりない文章でごめんなさいね。

 


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